flower in my head

アニメのてきとう感想がメイン。ネタバレあります。

STAR DRIVER 輝きのタクト #25(終)「僕たちのアプリボワゼ」

残り1話でどう畳むのか興味津々で観始めたけれど、凄まじいテンションの演出で駆け抜けて地球とスガタまで救ってしまった手際の良さに脱帽。ヘッドに利用されてきたことに気付いた綺羅星メンバーたちが、一人で南十字島そして世界のために戦い続けてきたタクトに助太刀する流れが白眉だったな。ミセス・ワタナベを通じて綺羅星の活動を外から見てきた感のあるシモーヌがその嚆矢になったのも分かりやすい。で、仮面を捨てても綺羅星の名前は捨てなかったのは、ヘッドへのアンチテーゼであると同時に、サイバディの守護者である綺羅星十字団本来の役目に立ち返ったと理解していいのだろう、多分。
ザメクを封印するというスガタの狙いは予想通りで、彼を救い世界までも救ったタクトの規格外の行動とそんな彼を理解したワコとの以心伝心は熱かったけれど、「二人の男の子をこんなにも深く同時に好きになっちゃった女の子の苦しみが、あなたには分かる?」というワコのモノローグに女のずるさが垣間見えてしまって、爽快さを削ぐ湿っぽい後味になってしまったのが私的には残念。何か報われないケイトに肩入れしたくなってしまった。やっぱりエピローグが欲しかったな。
現実での活動時間がほんの一瞬だったタウバーンとザメクの顛末が、セミかカゲロウの一生のような儚さを想起させて、「サイバディ」とは南十字島における少年少女たちを真空パックしたような世界観のメタファーだったのかもしれないと思った。ところで、「エントロピープル」のお二人はキャスト・クレジットにも無かったけれど、放置でいいんだろうか? 余所様では分割2クールだの劇場版だの予想が飛び交っているようだけれど、力業ながらも綺麗にまとまっていたと思う。
★★★☆


(4/8追記)上記エントリの後で余所様を巡回したところ、同じくワコのモノローグについてのネガティヴな感想を多く目にしたこともあって、その意味について今一度考えてみた。ワコにとって、スガタは郷土愛から因習までをひっくるめた南十字島の象徴で、タクトは憧れても届かぬ島外の世界の象徴であるとすれば、幼少期から巫女としての宿命に従いながらも明るく振舞い続けた「耐え忍ぶ女」としての一面が浮かび上がってきて、やや見方が変わってきた。ミズノに対して平然と巫女の宿命を諭した態度がやけに痛々しかったことも思い出した。そんな潜在的な忸怩たる想いが、「苦しみ」という言葉として表出したのかもしれない。“鎖国”状態だったワコにとって、タクトは“黒船”の如き既存の価値観をひっくり返すほどの存在だったのだろう(泳いで島に来たという1話の奇天烈な行動は伏線だったのかも)。そうだとすれば、「会わなければ良かった」という吐露にも共感できる。封印を解かれたことで晴れて島から出られる身分になったわけだが、それは南十字島を選ぶか新天地を選ぶか、今までは考えなくても済んだ選択を迫られることでもある。そんなワコさんにいささか失礼なことを書いてしまったのでは…と引っ掛かり続けていたので、ここに付記しておく。