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アニメのてきとう感想がメイン。ネタバレあります。

戦う司書と世界の力

最終巻読了(ずいぶん前に)。

戦う司書と世界の力 BOOK10 (集英社スーパーダッシュ文庫)

戦う司書と世界の力 BOOK10 (集英社スーパーダッシュ文庫)

天国ルルタに未来神の化身ニーニウと能力のインフレが制御不能なほど膨れ上がっているものの、「仮想臓腑」で戦う死者の魂たちというこれまたありえない舞台設定で相殺してしまう力業でバランスが維持されている。秘匿されてきたハミュッツの能力に数多の犠牲の上に成り立っているルルタの存在を余す所なく活かした攻守交替シークエンスはスリリングで、これまた反則気味な魔法権利譲渡によってニーニウが破滅の化身になるクライマックスの絶望感はなかなかのもの。
ルルタがコリオのことを見ていたのは決してご都合主義というわけではなく、最上層の「救世主」に祭り上げられた自分の対極だった最下層の「肉」が、所詮は同じ感情を有していた「人間」だったという共感と憧れによるものではないかと思う。コリオとシロンがルルタに正気を取り戻させたのは、ルルタの歪んだ願いが二人を結び付けた因果に対する純粋な感謝ゆえで、ナイフに集められた「世界の力」を象徴する演出にもなっていた。ここはすばらしかった『恋する爆弾』を納得の行く形で回収してくれたので感無量。ただ、神溺教団に迫害され怨みを抱きながら死んでいった者のほうが遥かに多いだろうことを考えると、いささかの理不尽さも感じてしまうが。
全体を通じて印象的だったのはハミュッツとチャコリーの異物感で、神を蹴落とすくらいの「天国」を倒すための「道具」、換言すると際限なく膨れ上がった世界観にケリをつける切り札としては当然なのだろう。まあシリーズ後半まで二人の正体や出自を謎として引っ張ったおかげで彼女らの内面に共感しづらかったところはあったのだが、先読みできないストーリーの面白さとバーターと考えるべきなのかもしれない。
未来神オルントーラによる再生と破滅の輪廻を694回で終わらせた要因について考えてみる。例えば、『魔法少女まどか☆マギカ』ではほむほむがループを繰り返すごとに因果がまどかに収束して臨界点を迎えたという分かりやすい説明があったけれど、本作におけるイレギュラーは何だろうか。やはりマットアラストがエピローグで語ったとおり、救世主ルルタ一人の力ではなく、二千年近くにわたり救世主としても搾取者(天国)としても彼を支えてきた人々の願いの蓄積が一点に集中(=世界の力)した偶然の産物と思いたい。
総評を兼ねてアニメ版に触れておく。この膨大な原作をよくぞ27話にまとめたなあと感服すると同時に、原作未完のためクライマックスがオリジナル展開になってしまう作品が多い中で、原作の完結を踏まえた制作が行われたことを特筆したい。総集編を挟んで27話という構成はダイジェスト気味であったものの、原作の醍醐味を過不足なく映像化していて、改めて傑作という印象を新たにした。オミットされたエピソードは多数なれど、カチュアの事後を清算するミンスの人となりに踏み込んだオリジナルエピソード「禁書と腑抜けと聖浄眼」や、原作では不遇に感じられたチャコリーにルルタが直接礼を言ったクライマックスの脚色などは、個人的に気に入っている。本作に限らずこういう大河ファンタジー作品には1年くらいの尺を与えてほしいと思うのだけど、それを許さない業界の事情が分かっていてもやるせない。